ASTRAXな人たちの宇宙人生劇場/Episode 6 発信プロデューサー | 鈴木憲治さん

飛行機に乗って海外旅行をするように、宇宙船で旅する“宇宙旅行時代”が間もなく訪れようとしています。ASTRAXに出合い、宇宙を舞台に夢を実現しようとしている人たちは、普段は何をしていて、どのようなことをきっかけに宇宙とかかわるようになったのでしょうか。宇宙に活躍の場を広げようとする“ASTRAXな人たち”をご紹介します。


Episode 6 発信プロデューサー | 鈴木憲治さん
「やってみたらいいよ」は背中を押してくれる魔法の言葉
チャレンジする人の発信を応援する仕事
── 発信プロデューサーという肩書で、どのような活動をされているのですか?

新しいことを始めたい、世の中に思いを発信したいと考えている人はたくさんいます。たとえばこれまで専業主婦だった人が、料理や書道など教室を開こうとするとき、どうやって発信すればいいかわからず悩んでいるとします。そんな人に、まずはホームページ作りましょうとか、私が運営しているラジオ局・J-Radio(ジェイ・ラジ)でイベント告知しましょうとか、今度こんなイベントがあるので参加したらどうですか? などカウンセリングをした上で、それぞれの目的に合わせたサポートする活動をしています。チャレンジしようとする人の背中を押して、世の中にどんどん送り出していくという意味で「発信プロデューサー」と名乗っています。
── 鈴木さんがいまのお仕事をされるようになったきっかけをお聞かせください。
長い間、言いたいことも言えず、自分を押さえつけて生きてきた経験があるからです。父は警察官、母は看護師という厳格な両親の家庭で、私は育てられました。父は「巨人の星」の星一徹のような人で、中学を卒業するまでは、父の出勤時には「いってらっしゃいませ」、帰宅時には「おかえりなさいませ」と玄関で正座して見送りと出迎えをしなければならないほど厳しかったです。両親の顔色を見ながら育ってきたからか、我慢することが当たり前といつしか思うようになり、やりたいことがあっても自分のなかで、抑え込んでしまう癖がついてしまって……。ただひたすら真面目に一生懸命生きることを目指していたら、身体に異変が起こってきたのです。

歳の数だけ薬を飲んでいた“会社員時代”
── それは、いつ頃の話ですか?
いまから7年ほど前です。子どもの頃から自我を出さずに生きてきて、社会人になってからも、自分のやりたいことを追求することなく、ひたすら真面目に目の前の仕事をしてきました。最初に勤めたのは外資系食品メーカーで営業職。その後30歳で転職をして、外食産業の本部に入りました。そのときの直属の上司が無理難題を言う人で、いわゆるパワハラですね。人の顔色をうかがう習慣と何でも深く考え込んでしまう性格から、上司の発言をうまく受け流すことができず、とうとう布団から出ることさえできなくなってしまったのです。

── ご家族は心配なさったでしょうね。
外に出られなくなってしまい、布団とトイレの往復を繰り返す日々が半年間続きました。妻にいつ愛想をつかされてもおかしくないと思っていましたが、寝室と襖一枚隔てたリビングで、妻はお笑い番組をみて、毎日楽しそうに笑っていたんです。今後のこと考えたら不安でいっぱいだったと思うのですが、そんなことはおくびにも出さず、毎日明るく笑っている妻の存在は、本当にありがたかったです。いっときは病院から処方される歳の数だけ薬を服用していましたが、そんな妻の支えもあり、いつの間にか完治していました。
夢は宇宙ステーションからのラジオ生放送
── 気持ちに変化が起こったきっかけは何でしたか?
ある日、友人に誘われて、とある方の事務所に遊びに行きました。そこで出会った方々は、みなさんいい意味でゆるくて適当な人たちばかり(笑)。いままで真面目すぎて自分で自分を生きづらくさせていたことが馬鹿らしく思えてきて、急に吹っ切れたというか、前向きになれたんです。その頃はまだ病院から大量の処方箋を出されていましたが、自分の体調を良くするのは薬ではない、”人とのご縁”だ!と確信して、家に帰るとすぐに大量の薬をゴミ箱に捨ててしまったのです。それから少しずつ外に出るようになって、徐々に人との交流も増えていきました。


── ASTRAX山崎大地さんとの出会いもその頃でしょうか。
大地さんとお会いしたのは6年ほど前、2012年だったでしょうか。ある方の周年イベントで初めてお会いしました。大地さんの第一印象は、「ぶっ飛んでて最高」だと思いましたね。話していると、否定的な発言がまったく出なくて、つねに想像の枠を超えてくる。「ジャンボさんが宇宙でラジオステーションをつくって、ぜひそこから生放送してくださいね」って。毎回会うたびに「やってみたらいいですよ」と背中を押してもらい、やる気にさせてくれるありがたい存在で、いまの私の活動にメチャクチャ影響を受けています!宇宙からのラジオ放送が実現するまでに、腕と声をしっかり磨いておきたいと思います。30年ぶりに再開したギターで、宇宙からの歌声もお届けできたら嬉しいです♪
プロフィール

鈴木憲治(すずき・けんじ)
1974年生まれ。発信プロデューサー。ラジオ局の運営、ホームページ作成サポート、動画作成サポート、パソコン講座などのほか、うつで苦しんだ自らの経験を生かしたカウンセリングや音楽ライブの活動も行っている。身長188cm、靴のサイズ30cm、通称「ジャンボ」。
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